【HIEプレップスクール】大谷翔平は渋沢栄一から何を学んだか?――道徳経済合一説の重要性――【中編】
皆さん、こんにちは!
両国校国語科講師の福島です。
「大谷翔平は渋沢栄一から何を学んだか?」の【中編】と【後編】は大谷翔平選手の話が中心になります。
今回は【中編】です。
【前篇】では、「1、渋沢栄一の『論語と算盤』の思想」「2、大谷翔平における渋沢栄一との出会い」についてまとめました。
未読の方は、前回のブログ(「大谷翔平は渋沢栄一から何を学んだか?――道徳経済合一説の重要性――【前編】」)をご覧ください。
国語の入試問題の文章は長文化しています。
中学高校生の皆さんは、このブログを読むことによって、大谷選手と渋沢栄一をつなぐものについて知ることができるだけでなく、長文読解に慣れていくこともできます。
【前編】が読みづらい方は【中編】【後編】を先に読むとよいでしょう。
全文通読にチャレンジしてみてください。
このブログを大谷選手にもぜひお読みいただき、ご感想をいただければ幸いです。
3、大谷翔平と『論語と算盤』の思想
2013(平成25)年、大谷翔平選手は栗山英樹監督を通して、渋沢栄一の『論語と算盤』を読むようになりました。
大谷選手が『論語と算盤』から学んだことは何でしょうか?
それは、「道徳経済合一説」の重要性、すなわち、道徳と経済を一致させて公益を優先することの大切さです。
このことについて、大谷選手は明確に述べていませんが、彼の行動や活動を辿っていくと明らかになります。
大谷選手は、MLBに移籍するまでは『論語と算盤』を主に組織面で生かしていましたが、MLB移籍後は『論語と算盤』を組織面だけでなく金銭面においても積極的に生かすようになってきました。
特に『論語と算盤』の「仁義と富貴」という章の比重が大きくなってきたと言えます。
この章は金銭面の話題が中心で、富豪の義務についての言及もあります。
2012(平成24)年、大谷選手は岩手県花巻東高校を卒業した後すぐに、メジャーリーガーを目指して渡米することを考えていました。
しかし、北海道日本ハムファイターズ(山田正雄GM、栗山英樹監督、大渕隆スカウトディレクター、吉村浩統括本部長)からのプランの提案を12月に受け入れて、日本ハムに入団することになりました。
日本ハムのプレゼン資料「大谷翔平君 夢への道しるべ ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」(2012年11月10日)には、投打二刀流の選手としてメジャーで成功して長く活躍を続けるためには、琵琶湖の写真に象徴される「急がば回れ」で、高校卒業後すぐに渡米するよりも、NPB(Nippon Professional Baseball Organization)のプロ野球を経験して自己が確立してからメジャー入りした方が良いということが、明確な根拠に基づいて書かれていました。
2013(平成25)年からの日本ハム時代の大谷選手は、金銭よりも自分の夢を重視し、組織において誠実に振る舞って他者の利益(公益)を優先するという考え方が中心でした。
チーム内の結束、他チームや球場・野球関係者とのつながり、ファンとの交流などの人間関係も大切にしていました。
それは挨拶やゴミ拾いなどの日常的な行動に表れていて、今も続いています。
この行動の基になったのは、大谷選手が花巻東高校1年生の時に作成した「目標達成シート(マンダラチャート)」(2010年12月6日)です。
これは大きな目標を達成するための81マスのシートのことで、具体的には、「ドラフトで8球団から1位指名される」という達成すべき大きな目標(主要テーマ)の周囲に、「1、コントロール」「2、キレ」「3、スピード160/h」「4、変化球」「5、運」「6、人間性」「7、メンタル」「8、体づくり」という8つの柱(サブテーマ)を置き、それらを外側に引き伸ばして書き、それぞれの項目の周囲にさらに具体的な要素を8つずつ書いたシートです。
8つの柱(サブテーマ)の1つに「5、運」の項目があり、その周囲に「5-1、ゴミ拾い」「5-2、部屋そうじ」「5-3、審判さんへの態度」「5-4、本を読む」「5-5、応援される人間になる」「5-6、プラス思考」「5-7、道具を大切に使う」「5-8、あいさつ」という8つの具体的な要素を書いています。
大谷選手は高校生の頃から、謙虚な姿勢で視野を広めて環境を良くする8つの行動を「運」を呼ぶための行動としていたのです。
この公益につながる行動によって謙虚になり心が清まり余裕が生まれ、思わぬ良い巡り合わせを呼ぶことができるのです。
大谷選手は『論語と算盤』を読むことで、このことを裏付けることができたのではないでしょうか。
栗山英樹氏は『栗山ノート』(光文社)の中で、『論語と算盤』「算盤と権利」の章における「商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守ることだ。」という考え方を取り上げて、つぎのように述べています。
《年俸が数百万円の若手選手でも、数億円を稼ぐ大物選手でも、「人のために尽くす」という共通の利益に向かっていく。誰かに喜んでもらえることが、プレーするうえでの最大の原動力となる――それこそが、プロ野球チーム、プロ野球選手の在るべき姿でしょう。》(第5章)
2017(平成29)年、新ポスティングシステムを利用してMLBに挑戦することを表明していた大谷選手(当時23歳)は、12月8日(日本時間9日)に、指名打者制(DH制)があるアメリカン・リーグのロサンゼルス・エンゼルスに移籍することが決まりました。
大谷選手には、MLBの新労使協定によって「25歳ルール」という壁がありました。
これは、大谷選手が25歳未満でプロリーグ所属6年未満であるために、契約金が制限され、最初は格安のマイナー契約しか締結できないというものです。
その年俸は最低保障額の54万5000ドル(約6100万円)で、エンゼルスは譲渡金2000万ドル(約22億6000万円)を日本ハムに支払う必要はありますが、大谷選手のプロ野球での実績から考えれば破格の金額です。
2017年の大谷選手の年俸は2億7000万円でしたので、エンゼルスでの最初の年俸はかなり低くなります。
大谷選手が25歳以上でしたら、2017年をはるかに上回る高額な年俸が入るはずでした。
しかし、大谷選手は目先の金銭よりも投打二刀流でメジャー挑戦をしたいという思いを重視して、エンゼルスとマイナー契約を結びました。
ニューヨーク・ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMは、「カネはいらないがメジャーでプレーしたいと言った選手は初めてだ。こんな選手が出てくるとは思いもしなかった。」とニュースでコメントしました。
2018(平成30)年、エンゼルスに移籍した大谷選手は、春季キャンプで招待選手として参加し、開幕前にメジャー契約を勝ち取りました。
同年3月29日(同30日)、オークランド・アスレチックス(2025年からアスレチックス)との開幕戦で指名打者(DH)として初安打を記録し、4月1日(同2日)、アスレチックス戦で初登板初勝利し、3日(同4日)、クリーブランド・インディアンス(2022年からクリーブランド・ガーディアンズ)戦で初本塁打を放ちました。
9月2日(同3日)のヒューストン・アストロズ戦では投球回数が51回2/3に達し、「投球回数50イニング、15本塁打」で、1919(大正8)年のベーブ・ルース(1895~1948)以来、99年ぶりの偉業を達成しました。
このように二刀流として活躍を続け、成績は4勝2敗、防御率3.31、63奪三振、打率2割8分5厘、22本塁打、61打点、93安打、10盗塁でした。
「10登板、20本塁打、10盗塁」というMLB史上初の記録も達成し、アメリカン・リーグの新人王になりました。
9月に右肘に靭帯損傷が見つかり、シーズン終了後の10月にトミー・ジョンソン手術を受けました。
2019(令和元)年、打者として復帰し、6月13日(同14日)にタンパベイ・レイズ戦で日本人選手初めてのサイクルヒットを達成しました。
成績は打率2割8分6厘、18本塁打、62打点、110安打、12盗塁でした。
2020(令和2)年、7月に投手として復帰しました。
コロナ禍のために162試合制から60試合制になり、成績は0勝1敗、防御率37.80、打率1割9分、3奪三振、7本塁打、24打点、29安打、7盗塁でした。
2021(令和3)年、MLBはオールスター戦(球宴)で「大谷ルール」を採用しました。
これは、先発した投手が降板後も指名打者(DH)として試合に残ることができるというものです。
大谷選手はオールスター戦に「1番・DH兼投手」の投打二刀流で初出場し、勝利投手となりました。
成績は9勝2敗、防御率3.18、156奪三振、打率2割5分7厘、46本塁打、100打点、138安打、26盗塁で、アメリカン・リーグの最優秀選手(MVP)に輝きました。
2022(令和4)年、「大谷ルール」が本格的に始まりました。
大谷選手は初めて開幕投手を任され、「1番・DH兼投手」で先発し、チームのシーズン初球をピッチャー、バッターで迎えたMLB史上初の選手となりました。
成績は15勝9敗、防御率2.33、219奪三振、打率2割7分3厘、34本塁打、95打点、160安打、11盗塁でした。
大谷選手は①規定打席数+規定投球回数のダブルクリアと②2桁勝利+2桁本塁打を達成しました。
前者(①)はベーブ・ルースさえも達成していず、後者(②)は104年前にベーブ・ルースが達成して以来初めてです。
104年前の1918(大正7)年は、ベーブ・ルース(当時23歳)が95試合で13勝7敗、防御率2.22、打率3割、11本塁打、66打点、95安打という記録を残して、真の「投打二刀流」が誕生した年でした。
2023(令和5)年の大谷選手の活躍はさらに輝かしいものでした。
大谷選手は、3月に開催されたWBCにおいて投打二刀流で登場し、全7試合で23打数10安打、打率4割3分5厘、1本塁打、8打点を記録し、投手としても2勝1セーブという成績を残すだけでなく、精神的な支柱としてチームを牽引しました。
このように初出場のWBCで大活躍をして、栗山英樹監督の率いる侍ジャパンを3大会ぶりの世界一に導き、大会MVPを獲得しました。
『論語と算盤』の中には「忠恕はすなわち人の歩むべき道にして立身の基礎、つまりはその人の幸運を把持することになるのである。」(「成敗と運命」)という言葉があります。
大谷選手の「忠恕」の心はWBCに関するいろいろな場面でも生かされました。
『栗山ノート2』(光文社)「第3章」によれば、「忠」とは「自分の良心に真っ直ぐに従うこと」、「恕」とは「他人の身の上を思いやり、自分のことのように親身になって思いやること」です。
大谷選手は「忠恕」の心を育んでいて、相手の立場になって考えて、何か気づいたら行動へ移すことができると栗山英樹氏は述べています。
「忠恕」は「目標達成シート」の8つの柱(サブテーマ)における「6、人間性」「7、メンタル」の項目ともつながります。
WBCの侍ジャパンのメンバーとして、セントルイス・カージナルスのラーズ・ヌートバー選手が選出されました。
アメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれた彼は、ミドルネームの「テイラー=タツジ」にちなんで、「たっちゃん」という愛称で呼ばれるようになりました。
大谷選手の「忠恕」の心は、たっちゃんをスムーズにチームに溶け込ませるための行動にも表れていました。
『信じ切る力』(講談社)「第6章」によれば、『論語と算盤』「成敗と運命」の章における「成功や失敗は頑張った後の残りカスのようなものだから、気にするな。」という思いで、選手たちも栗山監督もWBCを戦っていたそうです。
渋沢栄一は『論語と算盤』の中でつぎのように述べています。
《苟(いやしく)も事の成敗以外に超然として立ち、道理に則(のっと)って一身を終始するならば、成功失敗のごときは愚か(=疎か)、それ以上に価値のある生涯を送ることができるのである。況(いわ)んや成功は人たるの務めを完(まっと)うしたるより生ずる糟粕(そうはく)たるにおいては、なおさら意に介するに足らぬではないか。》(「成敗と運命」)
大谷選手は、MLBでは8月下旬に右肘と右脇腹を負傷し、チームより一足先の9月にシーズンを終えて手術をしました。
それでも、投手としては10勝5敗、防御率3.14、167奪三振、打者としては打率3割4厘、44本塁打、95打点、151安打、20盗塁というように、投打で活躍しました。
さらに、日本人初のリーグ本塁打王になり、シーズン後にはMLB史上初となる満票での2度目のアメリカン・リーグのMVPにも輝きました。
2023年12月9日(同10日)、大谷選手はフリーエージェント(FA)でナショナル・リーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍しました。
10年契約で、年俸総額は7億ドル(約1015億円)です。
これはプロスポーツ史上最高額です。
年俸は単純計算で7000万ドル(約101億5000万円)ですが、強烈な「後払い契約」になりました。
代理人ネズ・バレロ氏によれば、この年俸の後払い(繰り延べ払い)は大谷選手の発案です。
ドジャースは大谷選手に、契約期間中の10年(2024年~2033年)で年俸総額の3%(2000万ドル、約29億円)を払います。
契約期間中の年俸は200万ドル(約2億9000万円)です。
残りの97%(6億8000万ドル、約986億円)は、契約期間後10年間(2034年~2043年)の無利子の後払いとなります。
大谷選手がこのような後払い契約をしたのは、球団の戦力補強に費やす資金が増えるようにするためです。
この契約によって、ドジャースは他の有力選手を獲得することが可能になりました。
山本由伸、タイラー・グラスナウ、テオスカー・ヘルナンデスといった選手たちを獲得し、翌年、ワールドシリーズ(WS)を制覇することができました。
大谷選手はMLBに移籍して経済的に豊かになっていくにつれて、組織・金銭の両面で他者の利益(公益)を優先するという考え方が強くなっています。
このことは、つぎに示す大谷選手の社会貢献活動に表れています。
・⑴、2019(平成31)年1月、心臓病の赤ちゃんへのお見舞い
・⑵、2020(令和2)年、チャリティにサイン入りバットを出品
・⑶、2021(令和3)年7月、MLBオールスターのホームランダービーの賞金をエンゼルスの球団スタッフに寄付
・⑷、同年11月、カリフォルニア州にある闘病小児への支援団体「ミラクル・フォー・キッズ」への寄付
・⑸、2023(令和5)年11月、日本の小学校へのグローブ寄贈を公表
・⑹、同年12月、ドジャースのチームの補強を最優先した報酬の後払い契約をし、契約内容に「1%未満を慈善団体に寄付」という条項を盛り込む
・⑺、2024(令和6)年1月、令和6年能登地震被災者支援のための寄付をドジャースとともにすることを公表
・⑻、同年3月、大谷翔平×ECC共同プロジェクト「SHOW YOUR DREANS 2024」の「2024年8月に小・中・高校生100名様へ海外留学&ホームステイプレゼント」を公表
・⑼、同年5月、ドジャース球団オーナーグループ主催のチャリティイベント「ブルー・ダイヤモンド・ガラ」に、公式戦で着用したユニホームを出品
・⑽、同年5月16日(同17日)、闘病少年(13歳)に始球式と球場スイートルーム利用権をプレゼント
・⑾、同年7月、株式会社伊藤園が展開する無糖緑茶飲料ブランド「お~いお茶」が、グローバルアンバサダーの大谷翔平選手とともに取組む社会貢献プロジェクト「Green Tea for Good」を始動
・⑿、2025(令和7)年1月16日(同17日)、1月7日(同8日)にロサンゼルス西部で発生した大規模な山火事に対して50万ドル(約7800万円)の寄付を発表
以上の⑴~⑿の活動に共通することは、組織・金銭の両面において、「道徳経済合一説」に基づいた公益優先の利他的な考え方が背景にあることです。
特に2023(令和5)年11月以降、その傾向が強くなっています。
野球チームへの貢献はもちろん、子どもや社会的弱者や自然環境への貢献も実現しています。
⑾の「Green Tea for Good」は、環境面での社会貢献活動という点で新しい展開だといえます。
これは、伊藤園が大谷選手と立ち上げるグローバル社会貢献プロジェクトのことです。
第1弾の取組みとして、「お~いお茶」ブランドの飲料・リーフ製品の売上の一部などを活用し、日本及び海外の森林・水・生物多様性をはじめとする保全活動などを行います。
2024年度は大谷翔平選手の故郷岩手県を皮切りにスタートしました。
「大谷翔平ボトル」を7月8日から期間限定で販売し、この売上の一部も「Green Tea for Good」の活動に使用していくことになりました。
茶畠に佇む大谷選手のポスターも掲示されました。
ボトルに掲載された大谷選手の俳句を挙げておきましょう。
《いつの日も僕にはお茶がそばにある》
この俳句を、「いつの日もどんな時にも、僕には初心を忘れずに無心になれるお茶がそばにあるので、心丈夫で自分の力を発揮できる。」と私は解釈しました。
初心とは、ワールドシリーズ(WS)制覇と社会貢献活動を続けるということでしょうか。
大きな苦難を経験した後の句だと思うと、一層しみじみと感じるものがあります。
この句の「お茶」は「新茶」を指しているのでしょう。
「新茶・走り茶」とは、晩春に摘んだばかりのお茶を製したもので、新鮮な風味がもてはやされ、俳句では初夏の季語でもあります。
2025年1月21日に東京都で、伊藤園「『お~いお茶』×『大谷翔平選手』プロジェクト MLB/MLB東京シリーズ/LAドジャースとの新契約発表会」が行われました。
この時にムーキー・ベッツ選手は、大谷選手が儀式のように毎試合の30分前にお茶を飲んでいたことを証言しました。
大谷選手は、試合の30分前にお茶を飲むことによって、雑念を払って無心になり、試合に集中して「人のために尽くす」という人類共通の利益に向かっていこうとしているのではないでしょうか。
同年3月14日、伊藤園は3月の18日と19日に日本の東京ドームで行われるロサンゼルス・ドジャースとシカゴ・カブスのMLB開幕戦で、「Green Tea for Good」の第3弾の取組みとして、ゴミの清掃や分別を推進する社会貢献活動「ゴミ拾いしなくっ茶」を実施することを発表しました。
東京ドーム内に設置されている対象ゴミ箱の前で、同社の社員がゴミの分別を呼びかけ、協力者には「お~いお茶PURE GREEN」と、大谷選手のシルエットが描かれた「ゴミ拾いしなくっ茶」オリジナルゴミ袋と交換できる引換券を渡しました。
ゴミ袋は、物流倉庫で排出された「使用済みストレッチフィルム」を再資源化した原料を使用して作られました。
この活動は、グローバルアンバサダーを務める大谷選手の、ゴミ拾いで運を拾うという習慣に着想を得ました。
大谷選手の球場でのゴミ拾いはチームメイトだけでなく、世界の野球フアンにも大きな影響を与えています。
2023年4月22日(同23日)、MLBは公式SNS(X・旧ツイッター、インスタグラム)に、地球環境を考える「アースデイ(地球の日)」にちなんだ1本の動画を公開しました。
そこには、「Take care of our planet. Shohei Ohtani does!(地球を大切にしよう。大谷翔平は実行しているよ!)」と書かれ、球場でゴミ拾いをする大谷選手の姿が収められています。
また、エンゼルスも公式SNSで大谷選手のゴミ拾い動画を公開し、彼を「OUR CLEAN KING(我らの清潔王)」と呼んで称えました。
渋沢栄一は実業界だけでなく、教育・社会福祉、国際親善への貢献もしました。
たとえば、1875(明治8)年に「商法講習所(現・一橋大学)」、1901(明治36)年に「日本女子大学校(現・日本女子大学)」の創立に深く関わり、1879(明治⒓)年に、生活困窮者や病人、高齢者、障害者の保護施設である「養育院(現・東京都健康長寿医療センター)」を創設しました。
また、1927(昭和2)年、日本国際児童親善会の会長に就任して、日米間の人形交流を行いました。
大谷選手も前述したとおり、教育や社会福祉への貢献をしています。
MLBにおける謙虚で明るく誠実な交流や活躍は、チームを超え国境を超えて、国際親善にもなっています。
国際親善への貢献という面に関しては、もはや渋沢栄一を超えているのではないでしょうか。
渋沢栄一は『論語と算盤』の中で、富豪の義務についてつぎのように述べています。
《如何に自ら苦心して築いた富にした所で、富はすなわち、自己一人(いちにん)の専有だと思うのは大いなる見当違いである。要するに、人はただ一人(ひとり)のみにては何事もなし得るものではない。国家社会の助けによって自らも利し、安全に生存するもできるので、もし国家社会がなかったならば、何人(なんぴと)たりとも満足にこの世に立つことは不可能であろう。これを思えば、富の度を増せば増すほど、社会の助力を受けている訳だから、この恩恵に酬(むく)ゆるに、救済事業をもってするがごときは、むしろ当然の義務で、できる限り社会のために助力しなければならぬ筈と思う。「己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す」といえる言のごとく、自己を愛する観念が強いだけに、社会をもまた同一の度合いをもって愛しなければならぬことである。世の富豪はまず、かかる点に着眼しなくてはなるまい。》(「仁義と富貴」)
つまり、人間は一人だけでは何もできず、「自ら苦心して築いた富」が増えれば増えるほど「国家社会」の助力を受けて利益と安全を得ているので、富豪が社会を愛して「救済事業」を行うのは当然の義務だということです。
大谷選手が社会貢献活動に力を入れているのは、このような考え方が背景にあるからだと言えます。
渋沢栄一はアンドリュー・カーネギー(1835~1919)を深く敬愛していました。
日米親善の熱意から4回渡米しましたが、諸事情によって彼と会うことはできませんでした。
しかし、『アンドルー・カーネギー自叙伝』(訳者:小畑久五郎、冨山房、1922年)を読んで感銘し、『論語』や孔子についての言及があることも知り、彼が道徳と経済を一致させた人であることを確信して、この本の序文を書きました。
1927(昭和2)年に刊行された談話集『青淵回顧禄』所収の「青淵論叢」の中でつぎのように述べています。
《例へばカーネギーの如きは、其の家業は機織(はたおり)であつたが、父の代になつてから世の中の進歩に伴ひ殆んど家業が立ち行かなくなつたので、家を畳んでアメリカへ渡つたのであるが、それはカーネギーが僅か十四才の時であつた。カーネギーは其後勤勉努力して世界的大富豪となつたのである。ところが大富豪となつてから、其の富をどういう風に用ゐたならば最も有効であるかと考へた結果、之れを経済界に散じ、世界の経済界の発展を図るのが、自分の富を積んだ本旨に添ふものであるといふ結論に到達した。それでカーネギーは晩年になつてから、世界の経済界の発展を図るには、平和と云ふ事が最も必要であるといふ見地から、平和殿を造つたり、各所にカーネギー・ホールを作つたり、あらゆる公共事業に富を散じて社会の為めに貢献した。富を私せぬといふ崇高な精神がよく窺はれる。富を作る人にはおしなべて斯くの如き精神を有つて欲しいと思ふ。》(「政治経済と道徳観念」「経済と道徳の合一を信念とせよ」)
アンドリュー・カーネギーは、1848年に家族とともにスコットランドからアメリカ合衆国に移り、鉄鋼業を始めとする多くの事業に成功して巨万の富を築きました。
世界的大富豪となり、アメリカン・ドリームの体現者として鉄鋼王(Steel King)と呼ばれて1900年に『富の福音』を刊行し、その翌年に引退しました。
その後、平和を最重視して自分の富を社会に再分配することに尽力し、「人類の向上」のために3億3300万ドル(全財産の90%)以上を使いました。
一方、渋沢栄一は日本における資本主義の制度設計を第一の任務とし、蓄財は回避していて、引退後は社会に散らすほどの資産はありませんでした。
しかし、平和最重視と富の社会的再分配という点でアンドリュー・カーネギーに共鳴して、公益優先の活動をしました。
2023(令和5)年12月、大谷選手は大型契約でロサンゼルス・ドジャースに移籍し、収入面でまさに富豪になりました。
今後、ドジャースだけでなく、スポンサーなどからの収入もたくさん入ってくるでしょう。大谷選手は「道徳経済合一説」に基づいた公益優先の利他的な考え方によって、MLBで活躍するだけでなく、アンドリュー・カーネギーのように資産をうまく管理・運用し、社会貢献活動を続けていくことも求められています。
渋沢栄一は『論語と算盤』の中で、金銭をよく集めよく散ずることの大切さについてつぎのように述べています。
《要するに、金は社会の力を表彰する要具であるから、これを貴ぶのは正当であるが、必要の場合によく費消するは、もちろん善いことであるが、よく集めよく散じて社会を活発にし、したがって経済界の進歩を促すのは、有為の人の心掛くべきことであって、真に理財に長ずる人は、よく集むると同時によく散ずるようでなくてはならぬ。よく散ずるという意味は、正当に支出するのであって、すなわちこれを善用することである。》(「仁義と富貴」)
これからの大谷選手は「道徳経済合一説」に基づいて理財に長(た)けた人になり、金銭をよく集めよく散ずることによって社会を活発にし、野球界のみならず経済界全体の進歩も促して、世界平和にも貢献していくことでしょう。
ここまでが【中編】です。
次回のブログ(☆「大谷翔平は渋沢栄一から何を学んだか?――道徳経済合一説の重要性――【後編】」)もご覧ください。